皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。今回はトミー・ボーリンの話しの前に、リッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退する引き金となった作品、『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』について解説します。
それでは行ってみまShow!
目次
嵐の使者
1974年11月に発売された第三期ディープ・パープルのアルバム『嵐の使者』でしたが、このアルバム制作時に新たに加わったデヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズの2人とリッチー・ブラックモアの音楽性の意見が対立します。
ファンク&ソウル色を今以上に強めたい新加入組と、旧来のブルースに根差したハードロックを求めるリッチー・ブラックモアの意見の対立です。
しかしバンド側は新加入組のファンク&ソウル路線は認めても、リッチー・ブラックモアのブルース路線回帰路線は認めませんでした。
自分の意見を認めて貰えないリッチー・ブラックモアでしたが、『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』はカバーして録音したいと言い出しました。
クォーターマス
『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』はイギリスのプログレッシブ・ロックバンドであったクォーターマスが1970年に発売したアルバム『クォーターマス』に収録されています。
このクォーターマスはリッチー・ブラックモアの友人であるミックアンダー・ウッド が在籍するバンドです。
またクォーターマスは第二期ディープ・パープルとの結び付きも合ったバンドです。イアン・ギランとロジャー・グローヴァーはエピソード・シックスを脱退して第二期ディープ・パープルに加入しておりますが、同じくエピソードシックスから脱退したメンバーが作ったバンドがクォーターマスでもありました。
そんなクォーターマスは結成から2年も経たずに解散しており、発売したアルバムも『クォーターマス』の1枚のみ。第三期ディープ・パープルが嵐の使者を発売した時には既に解散しております。
そのクォーターマスが出した唯一のアルバムからファースト・シングルとして発売された曲が『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』なのです。
黒い羊
黒い羊とは“嫌われ者、厄介者”と言う意味です。実際の黒い羊とは遺伝が関係しており、家族構成内で滅多に誕生しない毛色の羊となります。
そのことから家族内の厄介者を説明する際の慣用句として『黒い羊』が使われる様になって行ったのです。
敢えて黒い羊と言い出した?
さて当時の第三期ディープ・パープルのファンク&ソウルの新基軸に意を唱えたのって、おそらくリッチー・ブラックモアのみだったと思われます。
ジョン・ロード
まずバンドの精神的リーダーと言われているジョン・ロードが音楽性云々の話をしていたのは第一期ディープ・パープル時代のみ。
その後は一切音楽性云々の話をしなくなっています。
イアン・ペイス
そしてイアン・ペイス。彼もどんなバンドジャンルでも自らのプレイスタイルを押し通すドラマーです。彼はジャズプレイヤー的なドラム・タッチの人でタカミックスみたいなドラム素人でも音で誰かが分かるドラマーです。
そんなイアン・ペイスもデヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズの2人がファンク&ソウルの音楽性を持ち込んでも反対することなく受け入れた様に見えます。
なので第三期ディープ・パープルでは楽しく叩いていた感があります。
ではイアン・ペイスが楽しく叩いてなかった時があるのか? と言われると、物凄く後年の話になりますがジョー・リン・ターナーが在籍していた第六期ディープ・パープルでのイアン・ペイスですね。
この時は相当やる気がなかったらしく、アルバム制作時にイアン・ペイスのドラム音をサンプリングし、それをドラムマシンで鳴らすとか言う、返って面倒なことをしていた時代がありました。
リッチー・ブラックモア
そんな中でリッチー・ブラックモアのみブルースに根ざしたハードロック思考でした。とは言えリッチー・ブラックモアは自分1人だけがバンドの中で浮いているのは自覚していたのでは? と思います。
なのでリッチー・ブラックモアは自虐の意味を込めてクォーターマスの『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』をカバーしてアルバムに入れたいと言い出したのではないでしょうか?
ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー
新加入組のファンク&ソウル路線は受け入れていたリッチー・ブラックモア以外のメンバーでしたが、『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』を新アルバムに入れることは反対されます。
理由はカバー曲だからだそうです。
が、ちょっと待って欲しい。
あんたら散々人の曲カバーしてなかったか? 第二期ディープ・パープルでもアルバム未収録なだけでシングル『ハレルヤ』はカバー曲です。
『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』がアルバムのイメージに合わないからとの理由もあったそうですが、果たしてそうでしょうか?
アレンジ次第でどうにでもなる曲ですし、その理屈で言ったら嵐の使者自体の楽曲ジャンルってバラバラじゃないですか?
デヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズが歌っているので、声質からファンク&ソウルっぽく聴こえますけどジャンル自体はバラバラな気がするんですけど…
やる気ゼロのリッチー・ブラックモア
結局『嵐の使者』どころか第三期ディープ・パープルでカバーすることすら試されなかった『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』の件でリッチー・ブラックモアは一気にやる気を無くしてしまいます。
そして「誰が曲を書いてもギター・ソロにオルガン・ソロ、後は同じ様にミックスされるだけ」とぼやいています(おそらくミックスダウンはイアン・ペイス)。
嵐の使者のレコーディングに入ったリッチー・ブラックモアでしたが、やる気がないのではピリッとした演奏など臨むべくもありません。少なくともリッチー・ブラックモアのギターは単調な響きのままで終わってしまったアルバムとなっています。
だったらソロで…
この様にレコーディング中からやる気のなかったリッチー・ブラックモアでしたが、嵐の使者のレコーディング終了した後の1974年10月から予定されていたアメリカ公演が中止となります。
そこでリッチー・ブラックモアはツアー中止で空いてしまった時間を使い、ソロシングルの制作に取り掛かります。この時にディープ・パープルのオープニングアクトを務めていたバンド『エルフ』のギタリストを除いたメンバー達と『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』のカバーと『16世紀のグリーン・スリーブス』レコーディングを行いました。
このエルフのボーカリストが ヘヴィ・メタル界の北島三郎こと ロニー・ジェイムス・ディオです。
第三期ディープ・パープルでは無視された『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』と『16世紀のグリーン・スリーブス』はリッチー・ブラックモアの予想以上の出来となります。
余りの出来の良さに、遂にリッチー・ブラックモアは第三期ディープ・パープルから脱退し、エルフのギタリスト以外のメンバー達との新バンドの結成を決めます。
そしてリッチー・ブラックモアは第三期ディープ・パープルから脱退することを当時のマネージャーであったロブ・クックジーとバンドメンバーへ伝えることになりました。
すんなり行かなかった脱退劇
意外だったのはディープ・パープル側がリッチー・ブラックモアのバンド脱退に対して慰留を努めたことでした。
まずマネージャーがバンド脱退を慰留したのは分かります。しかしディープ・パープルのメンバー(ジョン・ロードとイアン・ペイス)はリッチー・ブラックモアの『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』を受け付けなかった時点で彼の脱退劇に繋がるとは考えなかったのでしょうか?
良くも悪くもリッチー・ブラックモアの性格を知り尽くしている古参メンバー(ジョン・ロードとイアン・ペイス)なら容易に脱退劇に繋がるのは分かりそうな気もするのだが…
実際『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』のカバーをしなかったと言うことは、暗にリッチー・ブラックモアの居場所を失くすために行なったと思えなくもない。それなのに脱退の意思を告げられた途端、特にジョン・ロードは掌を返して遺留に努めたそうです。
コレって変な話じゃ… って、ロジャー・グローヴァーの件があったな。
しかし脱退
既に1974年の10月の時点でエルフとの新バンド結成の話がついていたリッチー・ブラックモアです。流石に今回の脱退意思は変わらず1975年の4月7日にヨーロッパ公演を最後リッチー・ブラックモアはディープ・パープルから脱退します。
解散危機
リッチー・ブラックモアの第三期ディープ・パープルの脱退でバンドの存続さえ危ぶまれました。事実、ジョン・ロードとイアン・ペイスの2人はバンドの解散も考えていたと言います。
単純な疑問
さて、ここで誰もが思う? 単純な疑問です。デヴィット・カヴァデールはともかく、ロジャー・グローヴァーが在籍していた時から第三期ディープ・パープルに内密とは言え加入が決まったグレン・ヒューズについてです。
グレン・ヒューズは第三期ディープ・パープル加入前はトラピーズで活動しており、 ファンクにソウルにR&B達をミクスチャーした独自のロックを演奏しておりました。どう考えても加入前にリッチー・ブラックモアが嫌う音楽性であったのが分からなかったのでしょうか?
ただ思い返せば最初にグレン・ヒューズに目を付けたのはジョン・ロードとイアン・ペイスです。となるとジョン・ロードとイアン・ペイスはディープ・パープルに新たな音楽性の基軸が入ることも了承の上でグレン・ヒューズを加入させたのではないでしょうか?
確かにリッチー・ブラックモアも音楽性は別としてグレン・ヒューズの加入に喜んでいました。しかし月日が経つに連れ、態度が大きくなっていくグレン・ヒューズのプレイと音楽性に嫌気が差したものだと思われます。
そしてリッチー・ブラックモアズ・レインボーへ
ディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアはエルフのボーカリストであったロニー・ジェイムス・ディオと新バンド、リッチーブラックモアズ・レインボーを結成します。
そのリッチーブラックモアズ・レインボーのファーストアルバム『銀色の覇者』に『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』と『16世紀のグリーン・スリーブス』は収録されています。
ディープ・パープルは第四期へ…
ある意味看板ギタリストであったリッチー・ブラックモアが脱退してしまったディープ・パープルは解散危機を迎えました。しかしバンド解散も止む無しと考えていたジョン・ロードとイアン・ペイスでしたが、デヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズの2人にバンド解散は思い留まらされたと聞きます。
そしてディープ・パープルとしては初のアメリカ人ギタリストであるトミー・ボーリンを加えて(デヴィット・カヴァデールのアメリカ帰化は2007年)第四期ディープ・パープルがスタートします。
ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー
この様に『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』は第三期ディープ・パープルとリッチー・ブラックモアを引き裂くキッカケとなってしまいました。
そんな『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』は様々なミュージシャンにカバーされ、また2015年に再々結成されたリッチーブラックモズ・レインボーでも再シングル化されております。
この『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』の歌詞って結構暗く感じるんですよね。
俺は家族の厄介者
皆んな贅沢に暮らしてけど
俺だけは家族の厄介者
歌詞の大意はこんな感じなんですけど、それにしちゃ曲調が明るい。
とは言えレインボー時代のリッチー・ブラックモアは『シンス・ユー・ビーン・ゴーン』みたいな明るい曲調もカバーします(まぁ、アメリカマーケティングが狙いだったからとも言えるが…)。もっとも『シンス・ユー・ビーン・ゴーン』も女に振られた男の話なので、暗いと言えば暗い歌詞なんですけどね。
続きは
さて、次回はリッチーブラックモアが脱退し、アメリカ人ギタリストが加入することとなった第四期ディープ・パープルについて話をしたいと思います。
つづく… が、一旦おしまい