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継ぎ接ぎだらけ?レインボー・オン・ステージ&ライブ版でのStill I’m Sadの著作権について

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皆さん、ご機嫌よう!タカミックスです。

さて、今回はレインボー初のライブアルバム『レインボー・オン・ステージ』についてです。

今回は意外と触れられることのない、ライブ版『スティル・アイム・サッド』の著作権についても触れてみたいと思います。

レインボー・オン・ステージとは

『レインボー・オン・ステージ』は、1977年にリリースされたレインボーのライブ・アルバムであり、彼らの初来日公演でのライブ音源を中心に構成されています。

さて、このライブアルバムの初期タイトルを知っていますか? コレ、本来なら『チェイス・ザ・レインボー / ライブ・イン・ジャパン』となる予定だったのです。

しかし、御大リッチー・ブラックモア様及びバンドメンバーが日本公演で一部の曲の出来が宜しくないとのことで、何曲か(と言うか3曲ね)がドイツ公演の曲となっています。

ドイツと言えばジャーマンですね!

このアルバムでは、リッチー・ブラックモア、ロニー・ジェイムス・ディオ、コージー・パウエルという3人の実力派ミュージシャンが揃った『三頭政治』時代のパフォーマンスを楽しむことができます。

実際はトニー・カレイの演奏も素晴らしかったんですけどね…

アルバム収録曲には、『キル・ザ・キング』や『キャッチ・ザ・レインボー』などの名曲が含まれており、ファン必聴の一枚となっています。

いわゆる第二期レインボー

概要とリリースの背景

1976年、レインボーはアルバム『虹を翔る覇者』をリリースし、その後のツアーで日本に初来日しました。

このライブアルバムは、その初来日公演の模様を中心に収録したもので、ライブ録音ならではの熱気と臨場感が特徴となっています。

当初、アルバムは「ライブ・イン・ジャパン」としてリリースされる予定でしたが、バンドメンバーはオープニングナンバーである『キル・ザ・キング』、中盤での『ミストゥリーテッド』、アルバムラストの『スティル・アイム・サッド』の日本での演奏が意にそぐわなかったらしく、最終的にドイツ公演のものと差し替えられております。

このアルバムに参加したメンバーは、ギターのリッチー・ブラックモア、ボーカルのロニー・ジェイムス・ディオ、ドラムのコージー・パウエル、ベースのジミー・ベイン、キーボードのトニー・カレイです。

彼らの組み合わせによって、バンドの演奏力は一層高まり、ブリティッシュ・ハード・ロックとしてのトップバンドとなっていきました。

レインボーのライブパフォーマンスの特徴

レインボーのライブは、その音楽性の多様さとパフォーマンスのダイナミズムが際立っており、観客を魅了する力を持っています。アルバム『レインボー・オン・ステージ』では、リッチー・ブラックモアのギタープレイが特に際立ち、クラシック、ブルースの要素も見事に融合しています。

さらに、ロニー・ジェイムス・ディオの力強いボーカルがライブに深みを与え、ファンを感動させております。

そして忘れてはいけないのがコージー・パウエルのドラムです。

まぁ、爆音です。

アルバムだとミックスがあるので、ドラム音もある程度は調整できるのですが、誤魔化しの効かないライブだと(まぁ、ライブでもミックスはするけど…)コージー・パウエルのドラム音のデカさが分かります。

『レインボー・オン・ステージ』には、全6曲が収録されており、その中には3つのメドレー形式の曲が含まれています。収録時間が長い楽曲も多く、ライブならではの即興演奏やギターソロが楽しめるのが特徴です。

『キル・ザ・キング』

『キル・ザ・キング』は、このアルバムの発売時は未発表だったため、ライブ音源として先行して紹介された曲となります。

この曲は、リッチー・ブラックモアのギターリフが際立つ疾走感あふれるナンバーで、ライブのオープニングを飾るにはもってこいのナンバーです。

タカミックスはアルバム『バビロンの城門』での『キル・ザ・キング』の方を先に聴いており、カバーまでしていました。なのでレインボーのスタジオ版を揃えてからライブ版を購入したので、ライブ版でのリフにビックリしました。『バビロンの城門』ではアルペジオのイントロになってたんでよね。

これが「Man On The Silver Mountain」?

このアルバムでは、メドレーで『Man On The Silver Mountain』『ブルース』『スターストラック』が収録されています。

実はタカミックス、『Man On The Silver Mountain』がレインボーで名曲呼ばわりされていることにイマイチ納得してなかったクチなんですよね。

なんかファーストにレコーディングされていた『Man On The Silver Mountain』はリッチー・ブラックモアらしいリフとか言われていたのですが、メリハリを感じてなかったんですよ。

それが、このライブ版での『Man On The Silver Mountain』を聴いたら、アルバム版と曲は同じなのに勢いが違う!

やっと『Man On The Silver Mountain』が名リフ&名曲呼ばわりされている理由が分かりました。

ライブ版スティル・アイム・サッドの著作権?

ファーストアルバムではインストロメンタルであった『スティル・アイム・サッド』ですが、ライブではロニー・ジェイムス・ディオの歌入りで演奏されています。

ただし、このレインボー・オン・ステージでは、大事なセクションが切りとられています。

それがコージー・パウエルのドラムソロです。

コージー・パウエルのドラムソロでは、ソロ終盤にチャイコフスキーの序曲『1812年』変ホ長調 作品49が使われています。

しかし、『レインボー・オン・ステージ』ではコージー・パウエルのドラムソロがバッサリとカットされています(正確にはボーカルも変わっていますが…)

どうやらアルバム化する時に『1812年』の著作権の許可が取れなかったらしいんですよね。

しかし、『1812年』の著作権は、1977年のアルバム発売当時からパブリックドメイン(著作権がなくなっていること)となっています。

パブリックドメインの作品は、演奏も編曲も問題なくレコーディングできます。

では、何故ドラムソロがカットされたのか?

それは『1812年』の演奏自体がレコードで流していたからの可能性が考えられます。この場合は“パブリックドメインの曲をレコーディングしたオーケストラ”の著作権となります。

おそらく、この辺の権利関係をプロデューサーであったマーティン・バーチが危惧して、『レインボー・オン・ステージ』内で『スティル・アイム・サッド』のドラムソロを使わなかったのでは? と思われます。

しかし、ドラムソロ入りもあるのは何故?

と、“その曲をレコーディングしたオーケストラのレコードの著作権”とか言っときながら、2005年にレインボーのライブ版『ライヴ・イン・ミュンヘン1977』が発売され、こちらには『1812年』の入ったドラムソロが収録されています。

この『ライヴ・イン・ミュンヘン1977』が発売されるまでは、レインボーのライブ版『スティル・アイム・サッド』はレコードに収録される度にドラムソロがカットされていたんです。

実際に1990年にライブ版『虹色魔宴 (ライヴ・イン・ジャーマニー 1976)』が発売されています。

このアルバムでは遂に念願の『スティル・アイム・サッド』内でのドラムソロが入っていましたが、『1812年』の部分だけバッサリとカットされてました。

コレって結構クレームが入ったそうなんですね。もっとも製作者側でも無い限り、著作権云々の話なんてリスナーには関係無いですから…

この辺のクレームを鑑みて『ライヴ・イン・ミュンヘン1977』の発売に当たり、販売元のイーグル・レコードや制作チームが、著作権の管理関係をクリアしたと思われます。

何にせよコージー・パウエルのドラムソロ内での『1812年』が収録されたのは大変良かったと思います。

継ぎ接ぎだらけ?その背景とは

『レインボー・オン・ステージ』に収録されている音源は、日本公演を中心に、ドイツ公演などヨーロッパの音源も加えられています。これにより、バンドのライブパフォーマンスの多様な側面を楽しむことができるアルバムになっています。

更に、このアルバムは曲の途中からでも公演の差し替えをしているらしいんですよね!

一曲目の『オーバー・ザ・レインボー〜キル・ザ・キング』からしてイントロを含めると東京、ニュルンベルク、ミュンヘンでの演奏パートが使われているとのこと。

様々なレインボー考証サイトを見たのですが、中には海賊版の歓声まで聞き取って考証した人までいました。恐れ入ります…

スクロールできます
曲名時間日付(全て1976年)公演場所
Over The Rainbow/キル・ザ・キング00:00~00:2812月16日夜の部東京(日本)
00:28~01:0109月28日ニュルンベルク(独逸)
01:01~05:1009月29日ミュンヘン(独逸)
05:10~05:3109月28日ニュルンベルク(独逸)
銀嶺の覇者/ブルース/スターストラック00:00~04:1312月16日昼の部東京(日本)
04:13~08:1512月16日夜の部東京(日本)
08:15~09:1112月16日夜の部東京(日本)
09:11~11:1712月16日昼の部東京(日本)
虹をつかもう00:00~13:4912月09日大阪(日本)
13:49~14:2312月16日夜の部東京(日本)
14:23~15:3712月09日大阪(日本)
ミストゥリーテッドカット有り09月25日ケルン(独逸)
曲終盤、ロニー・ジェイムス・ディオの独唱がカットされている。
16世紀のグリーンスリーヴスノーカット12月16日夜の部東京(日本)
スティル・アイム・サッドカット有り09月28日ニュルンベルク(独逸)
約5分間、コージーパウエルのドラムソロがカット。
ロニー・ジェイムス・ディオのボーカルは全編スタジオ録音。

さて、スティル・アイム・サッドではカットされた部分以外は全てオリジナルの演奏になっておりますが、実はロニー・ジェイムス・ディオのボーカルも全編差し替えとなっているそうです。

海賊版にてライブを確認した方が言うには、バックの演奏は全く同じだが、海賊版ではロニー・ジェイムス・ディオのボーカルがハリのない歌声だったとか。

ライブ版ではボーカルに限らず、演奏の差し替えって意外と多かったりします。演奏で失敗した所を後から録り直すんですよね。

何にせよ、この各地域での演奏を繋ぎ合わせている理由ですが、これは制作者側(プロデューサー)のマーティン・バーチが演奏や音響のクオリティを高め、アルバム全体の仕上がりを良くするためです。

マーティン・バーチ

複数の公演からベストな部分を選び、編集して一曲にまとめることで、より多様な音楽的アプローチを収録することができる様になったのです。

レインボー・オン・ステージの評価とその後

このアルバムはリリース後、多くのファンや音楽評論家から高い評価を受け、ブリティッシュ・ハード・ロックの代表作として位置づけられました。

また、1977年にはイギリスでシルバー・ディスクに認定されるなど、商業的にも成功を収めました。

音楽シーンへの影響

1970年代後半、パンクロックが台頭する中で『レインボー・オン・ステージ』はハードロックの魅力を再認識させる作品として、多くのリスナーに影響を与えました。

リッチー・ブラックモアが主導する独自の音楽性と、バンド全体のパフォーマンス力が融合し、ハードロックのスタイルを確立する一枚となっています。

しかし、リッチー・ブラックモアは満足しなかった!

まぁ、これだけ評価されたアルバム&バンドなら、悦に入ってと良さそうなのですが、リッチー・ブラックモア様は満足していませんでした。

ロニー・ジェイムス・ディオはイギリスと日本でレインボーがヒットしたことに気を良くしました。そして、ますます様式美を極めようとしていました。

しかし、リッチー・ブラックモアにとってのヒットとは、商業的成功 = アメリカでヒットすることでした。

では、アメリカでレインボーの曲をヒットするには何が必要か? それはラジオでオンエアされることでした。

ラジオでオンエアされるためには何が必要か?それはポップで短めの曲を書くこと、よするに大作主義を止めるということでした。

なのでリッチー・ブラックモアはロニー・ジェイムス・ディオに対して、騎士・ドラゴン・魔法といった世界観ではなく、ラブソングを書けと言い放ったのです。

まぁ、ロニー・ジェイムス・ディオの顔でオールナイト・ロングとか歌われても… とは思うのですが。

そんな決して現状には満足しないリッチー・ブラックモアの、考え様によっては我が儘が次作で見えて来るのです。

完璧な蛇足

蛇足なのですが、日本で某3人組のコーラスを売りにしているバンドの某曲のリフが、レインボーの『キル・ザ・キング』のパクリだと言われていました。

そのパクリだと言われていた曲は、某3人組のハードロック三部作の1曲で、その某3人組が初めて作ったビデオクリップで採用された曲です。

ただ、タカミックスは某3人組の曲とキル・ザ・キングの何処が似てるんだ?と長年疑問に思ってたんです。そしたら『レインボー・オン・ステージ』でのキル・ザ・キングのリフを聞いてビックリ!某3人組の曲が殆ど同じリフだった! あ、これパクリ以前に全く同じじゃん! と、まざまざと感じだ瞬間でした。

ただね、タカミックス、この某3人組の大ファンなのよ…

まとめ

最後は完全に蛇足でしたが、『レインボー・オン・ステージ』は1977年8月15日にイギリスでシルバー・ディスクに認定されております。

そして次作よりレインボーのアルバムは毎回ファンの論議を呼ぶ作品となって行くのです。

つづく

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