皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。
今回はバンドの内情的にはゴタゴタだった第一期ディープ・パープルの3枚目になるアルバム『ディープ・パープルⅢ』についてです。
それでは行ってみましょう!
目次
ディープ・パープルⅢ
さて、バンドの内情的にはゴタゴタだった第1期ディープ・パープルが1969年6月に発売したアルバム『ディープ・パープルⅢ』ですが、原題はバンド名でもある『DEEP PURPLE』です。
発売当初日本語タイトルは『素晴らしきアートロックの世界』でしたが、後に『ディープ・パープルⅢ』と改題されています。
個人的にはディープ・パープルⅢと書かれると第三期ディープ・パープルの方を連想してしまいます。
アルバムのアートワークについて
ディープ・パープルⅢのアルバムアートワークにはネーデルランドの画家であるヒエロニムス・ボッシュによる三連祭壇画『快楽の園』の右翼パネル(主義の話ではなく)『音楽地獄』が使われています。
三連祭壇画と言うのは開き観音折の画と捉えて下さい。
この『音楽地獄』から取られたアルバムカバーではリュートに突き刺さったハープとハーディ・ガーディの間に然りげ無く第1期ディープ・パープルのメンバーが挿入されております。
なお、どーでも良いですが『快楽の園』のハーディ・ガーディは、描かれたものとしては最古の画像だそうです。
それぞれが考えていたジャンル
第一期ディープ・パープルのアメリカにおける音楽性はイギリスのバニラ・ファッジ的なジャンルで捉えられていました。少なくともジョン・ロードはその様に考えていました。
逆にリッチー・ブラックモアはバニラ・ファッジよりもハードな音楽性を望んでいました。
そして第一期ディープ・パープルが契約していたテトラグラマトン・レコード側が考えていた音楽性はティーン・エイジャーが喜ぶアイドル風な出立ちでありながらも音楽玄人も喜ぶジャンルをイメージしていたとか。
そう言われるとテレビに出演していた第一期ディープ・パープルの衣装を見てみると、確かに煌びやか衣装に見えなくもないですね(もっともYouTubeでしか見てないですけど…)。
ディープ・パープルⅢ 制作背景
アルバム『ディープ・パープルⅢ』ではこれまでのアルバムと違い、カバー曲はアルバム全7曲中『ラレーニャ』の1曲のみとなっております。アルバム制作時間もこれまで出してきたアルバムとは異なり、第一期ディープ・パープルにとっては時間を掛けて制作されたので(とは言え世間的には恐ろしく早いタイムスケジュールなのだが)素晴らしい内容のアルバムができたのでした。
しかしディープ・パープル Ⅲが発売されたのは1969年6月ですが、何とボーカルであるロッド・エヴァンスとベーシストであるニック・シンパーの脱退は同年3月の時点で既に決定事項だったのです。
更にディープ・パープルⅢ発売後にテトラグラマトン・レコードは経営不振で倒産! 正確に言えば倒産したのは1970年に入ってからなのですが、それはあくまで書類上の話であって実際にはディープ・パープルⅢ発売後の1969年後半には会社を畳んでいました。
何か踏んだり蹴ったりの状態の第1期ディープ・パープルでしたが、テトラグラマトン・レコードの倒産後に新たなレコード会社としてワーナー・ブラザース・レコードと契約できたことを考えると第1期ディープ・パープルにとっては結果的に御の字でありました。
4月の協奏曲
このディープ・パープルⅢでは少しだけリッチー・ブラックモアが提唱していたハードロックバンドへ方向転換するサウンドの激しさが見えています。それと同時にバンドサウンドのイニシアチブを担ってジョン・ロードのクラシカル路線の方向性も見えた作品でもありました。
特にジョン・ロードのクラシカル路線への方向性が見えた作品がディープ・パープルⅢのラストを飾る『4月の協奏曲』です。この曲は12分を越える三部構成の曲でありアコースティックギターとオルガンの第一部、オーケストラがメインの第二部、そしてバンドアレンジの第三部となっています。
そして『4月の協奏曲』を発表したことにより次作のディープ・パープルの中では異色作であるオーケストラと共演している作品『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』につながるのであります。
過去三作品の中では一番内容の濃いアルバム
これまで発表してきたアルバム三枚の中では、このディープ・パープルⅢのサウンドが一番内容の濃い作品となっています。過去作品にあった様な緩さがなく、非常にスリリングで緊張感のある作品に仕上がっています。なのでアート・ロックと言うよりもプログレッシブ・ロックっぽい作品でもあります。
このアルバムは売上こそ振るわなかった物のディープ・パープルの中では重要な位置を占めている作品であり、それ故にディープ・パープル側もアルバム名『Deep Purple』としたのでしょう。
もしディープ・パープルⅢが大ヒットしていたら現在のハードロック・バンドとしてのディープパープルにはなっておらずアート・ロックバンドとしてのディープ・パープルになっていたと思われます。
しかしディープ・パープルⅢの売上は振るいませんでした。
それぞれの思惑
このディープ・パープルⅢの売り上げが振るわなかったこと、バンドメンバーが交代したこと、レコード会社が変わったこと、そしてあのバンドの大成功を見たリッチー・ブラックモアの考えやクラシカル路線を継続したいジョン・ロードの思い。
それぞれの思惑が重なり合った結果がディープ・パープルの中でも異色作でもある『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』に繋がるのです。
まとめ
なんだかんだありましたが、ある意味アート・ロックアルバムとしては完成された感のあるディープ・パープルⅢです。
第一期ディープ・パープルのおさらいで聴くのも良いかもしれませんね。
おしまい